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犯罪被害者
2007.04.29(Sun)
昨日は大阪弁護士会主催の
「犯罪被害者と司法を考えるシンポジウム」へ。
GW唯一の予定でござる。


日弁連は被害者の裁判への参加には反対している。
どうやら説明をいろいろと聞くにつれ
ここ数年国政の悪弊と化している
強行的採決で突っ走るパターンで
まもなく可決されそうだ。


シンポジウムには小林薫の弁護をした方や
会場からの質問者には宅間守の弁護をした方も
いたりでなんだか豪華なイベントだった。
私も日弁連の意見に賛成である。
犯罪被害者のためにしてあげるべきことは
必ずしも法廷への参加だけではないと思う。
事件直後からのケアや手続関係のアドバイスなど
初期段階から取り組むべきことすら日本では
できていないのにいきなり被害者を法廷に
立たせるというのは拙速に過ぎる。
参加するか否かは被害者の自由だけれど、
仮に参加をして自ら意見陳述をした方が
被告の量刑が重くなるというようなことが
起こるならば裁判の根幹に関わる問題だ。


パネリストの弁護士もはっきり言っていたけれど
法曹人も人間だから法廷で感情的になることがある。
それによって量刑が変わることは実際に起こるし
近年はその傾向は強まっていると。
そこに被害者や遺族が涙ながらに、感情を振り絞って
訴えかけてくると心象が変わるのは間違いないだろう。
しかしそれでいいのかと疑問に思う。


これもパネリストの発言の中からだけれど
裁判は真実を明らかにする場所ではない。
検察側の証拠によって有罪か無罪か、
量刑はどれほどかを決める場所である。
しかしこの制度ができると被害者や遺族は
法廷で真実を知れるに違いないという
過度な期待を抱くことにならざるを得ない。
そこには正解があるに違いないと。
だが現実の裁判はその期待には応えられる場ではないし
逆に被害者が傷つけられる結果に終わるだけかも
しれない。
そもそもの裁判の基本原則が被害者の存在を
想定したものではない現状の司法システムでは
傷ついたり、返り討ちにあう二次被害が増える
だけではないだろうか。


被害者からの司法アクセスを安価で容易にすること
被害者の心のケアに裁判所自らが勤めること
取調べの可視化、検察側の資料の開示を積極化するなど
今の枠組みの中でも変えようと思えば
変えられる事柄がたくさんあるのだ。
ただでさえ裁判員制度が始まって
しばらくは混乱が予想されるのに
よりによって何段飛ばしで改革する気かと
国に聞きたい。
政府与党には何か拙速に事を進めたい
思惑があるのだろう。


やはり改革は順を追って進めないと
急発進では事故を起こしかねない。
裁判員に選ばれた国民は目の前で
犯罪被害者が必死な訴えをしているのを
目にして冷静な思考状態を保てるだろうか。
法曹関係者ですらできないと言うのだから
いわんやであろう。
裁判が感情で左右されるような場であっては
絶対にいけないと昨日は感じた。

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