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2007.04.20(Fri)
またしても暴力団員による発砲事件。
20日21時現在ではアパートに篭城したまま解決には
至っていないようである。
近隣住民の不安は察するに余りある。
カタギに迷惑をかけることは彼らの本分ではないはずなのに。
銃は最後の引き金のはずなのに使い方を誤っている。
発砲事件の発生件数は減っているのだが。
なんとも難しい時代である。


ボケーッとテレビを観ていたら太田総理で
新日プロ蝶野明洋が「体罰を教育現場に導入」という
議案をプレゼンしていた。
結果は賛成11、反対13で否決。
あの番組では無難な結果と言える。


私は体罰は構わないと思う。
太田とか反対派は暴力を使うことは何があっても
許されないというスタンスであったがちょっと
待って欲しい。
まず体罰=暴力ではないだろう。
それに体罰は最後の手段ではない。
太田らは体罰を教育の最終手段とすることに
猛反対をしていた。
その認識が違う。


口で言ってわからない生徒に対する方策は幾らか
考えられる。
隔離、出席停止、停学、退学。
これらに比べれば体罰は非常に軽い処分と言える。
まだ教室にいることができるのだから。
体罰を妙に格別な位置において考えているらしい
太田らの考えもおかしい、体罰を金科玉行のように
考えている節のある一部の賛成派にも違和感を感じた。


あえて問題発言をするなら今の世の中は話し合いで
わからない奴にはズドンで終わりである。
クラウゼビッツ「戦争論」によると戦争は外交の
延長線上にある。
冷静な外交の裏に見え隠れするのは武力だ。
核保有の有用性を挙げるならこの点は大切である。
現職市長が道端で狙撃される時代である。
かなりの現実主義者の私に言わせると暴力は
世の中からはなくならないし、なくす努力などは
無駄に等しい。
武力、暴力の網の目の中に世界の秩序、日本社会の秩序は
保たれているとすら感じる。


ならば教育的指導のための体罰などはとるに足らない。
社会秩序の縮図を子供の頃から体験させておけば
良いではないか。
痛みを受けて初めて気づくこともある。
人に対する優しさを知ることになる。
何でも話し合いでカタがつくほど今の人間社会は
クリーンでパーフェクトな形態にはなっていない。
それが現実だから仕方ない。


この時節柄、いろいろと考えさせられた太田総理で
ございました。
そういえば長崎市長の件で容疑者は公共事業の
受注減によるシノギの悪化、見入りの悪化を
犯行動機として挙げていた。
まぁ予想通りである。
これは長崎だけの事件でもない。
自治体全てに起こりうる事件だったのだ。
やっぱり土建国家の足元は脆い。

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