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2007.01.17(Wed)
阪神大震災から12年が経った。
時が過ぎるのは本当に早い。
廃墟と化した神戸の町並みは何事もなかったかのように
順調に復興を遂げた。
町中を歩いていても震災の爪痕を見つけるのは
難しくなりつつある。
しかし復興支援住宅に多くの独居老人が住んでいて
孤独死といった悲劇が起こっているという事実は
私たちの生活の近くにある。
直接の被害は見え難くなったけれど、
まだ復興は完全ではない。
いや、完全な復興などあり得ないのだ。


私自身も被災をした。
高速道路の落下の現場、
水道管が破裂して数メートルまで吹き上がる水流、
まっ二つに割れたマンション。
今にして思えばとんでもない惨状が起こっていたのだ。
うちは水道管が故障していて近所は2週間ほどで
復旧した水道が1ヶ月ほどかかったものだ。
自衛隊の給水車が公園や学校にやってきて
それを貰いにポリタンクをコロコロで引っ張って
行ったりしてなんとか水を確保した1ヶ月。
本当にとんでもないサバイバル生活をしていたのだ。
あの時ほど冷凍食品のありがたみを思いしった時も
なかったのではないだろうか。


学校は震災から2週間後くらいから短縮授業で
復活していたと記憶している。
最初は給食ができないから弁当を持っていってたかな。
それから簡易の給食が始まったけれど、
メニューがかなり変わってかなり粗末な給食が
しばらく出ていたと思う。
学校の柔道場は被災者の方の避難場所として
使われていたっけ。
学校の前の公園にはいつの間にかプレハブの
非難住宅がたくさん建っていた。
この寒い時期にプレハブ暮らしはさぞ辛かったろう。
なんだかんだで学校や周囲の状況も含めて
年度が改まるくらいまではバタバタしていた。


はっきり言ってこんな生活を送ることを
もう一度経験したいとは思わない。
いかに我々の生活からライフラインが消えたら
人間は無力かというのをまざまざと思い知らされたからだ。
便利で安全な生活がいいに決まっている。
だからこそこの経験は語り継がなくてはならないのだ。
せめて関西に住む一市民としてそのくらいの
役割は果たさなければならない責務だと感じている。

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