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2007.09.14(Fri)
寝屋川教職員殺傷事件
(平成18年(わ)第1743号)
H19.9.13(木) 大阪高裁


寝屋川事件の最終弁論。
弁護側は徹底して広汎性発達障害の特性を
理解し考慮した判決を求める内容。
原審は懲役12年の少年刑務所行きだったが
なんとしても少年院送致にしてもらいたいという
戦術を最後まで曲げなかった。


発達障害者への個別プログラムが期待できない
刑務所ではむしろ認知・行動の克服どころか
悪化する可能性もあると強調。
また幼少期からの周囲の無理解、支援のなさという
社会の問題も大きいと主張した。


検察側はそれらをことごとく否定。
まず量刑を決めるのに被告を収容する施設の
運用実態を考慮に入れるなどという発想自体が
本末転倒だと当然の指摘。
また発達障害を真に克服するためには長期間の
収容・教育が必要であり、それならば刑務所が
むしろ本人のために向いていると。


さらに弁護側提出の証拠の中には偏った
イデオロギーを持った人物の論文も含まれており
およそ証拠能力を持たないと反論。
最後に被害者・遺族からの手紙を紹介し
被害者感情を鑑みると無期懲役が相当と
これまで通りの主張を崩さなかった。


私のような法律素人には量刑判断をどうこうとは
言えないけれど、確かに検察の言うことが
確かだと感じる。
いわゆる「更正に資する弁護」という立場の
弁護団が少年の将来のために個別プログラムを
期待できる少年院を希望するのは理解できる。
しかし刑事裁判の基本中の基本に立ち返れば
施設の運用実態を比較して、この被告には
こっちが向いてそう、あちらの被告は
あっちの施設にしよう、なんてことは素人目に見ても
裁判の実態にそぐわない主張だと感じる。
当たり前のことを気づかせてもらえたので
この検察の当たり前の指摘は大変勉強になった。


被害者遺族感情を出されると厳しいものがある。
それをことさらに強調すると無期懲役ですら
甘い処分だと論理の飛躍になり単なる感情論に
陥る可能性があると思う。
私はいわゆる被害者感情重視の昨今の司法の
状況には疑問を感じているのであまり
こちらは感心しない。


もう私の拙い刑事裁判の知識ではこれ以上の
深い分析はできない。
あとは判事に全てを委ねよう。
見たところでは中立そうな判事なので
非常識な判決は出ないだろう。
判決は10月25日(木)10時から。
私が裁判員ならどうするかなぁ。
一日ずっと考えてたけど結論出せない。
裁判員になったら本当に難しい仕事が
たくさん出てくるだろうなぁと思う。


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2007.08.28(Tue)
まずは訂正から。
6月27日日付「寝屋川教職員殺傷事件の傍聴」
コメント欄に寝屋川事件の結審は9月13日と
書きましたが誤りがありました。
9月13日10:30?最終弁論が行われて
その次で結審します。
今日時点で結審日は決定しておりません。
申し訳ありませんでした。


大阪高裁:平成18年(う)第1743号 (審理)


今日は川越少年刑務所の矯正処遇官が証人出廷。
要するに少年刑務所と少年院がどのように
運用が違い、目的が違い、方法が違うかといったような
点を現場を知る人から証言してもらうという
主旨らしい。
2時間の尋問を聞けば少年刑務所と少年院の違いが
バッチリ理解できるのではないかというほど
初歩的な話から現場ならではの苦労まで様々に
証言が飛びだした。


話を聞いていると双方に良き点悪き点があって
一概にどちらが被告少年に向いているかを
はたから判断するのは難しい。
やはり広汎性発達障害という特性を考えると
周囲と強調することを覚える必要はあるだろう。
川越に関しては園芸、製陶、体育などを通じて
できないことを責めるのではなくて分析をして
次に活かす様な指導をするのが主らしい。
そのプログラムの達成が自尊感情を生んで
助け合いや協力の大切さを学ぶことになるそうだ。


証人は誇張表現をすることもなかったし
現場の声として大変素直な答弁をしたと思う。
けれど広汎性発達障害を抱えた少年を扱うという
困難性を思うとそんなに上手くいくのかよって
少しツッコミたくなるのも事実。
法律も施設も個別プログラムも年々充実してきている
だろうけれど果たしてそれが真に更正に資する効果が
あるのかは甚だ疑問を感じる。
きっとこの証言には出なかったような苦労が
現場にはあるに違いない。
そう思わせる答弁だった。




2007.06.27(Wed)
大阪高裁:平成18年(う)第1743号


昨日は大阪高裁での寝屋川教職員殺傷事件の
控訴審に行ってきた。
少年事件が毎月のようにセンセーショナルに報道されるから
既に概要を忘れた方も多いはず。
平成17年2月に大阪府寝屋川市の市立小学校に
当時17歳の少年が乱入して教師1人を殺害、2人に重症を
負わせたという事件。
家宅侵入、殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反。
一審判決は懲役12年の実刑判決。
広汎性発達障害の影響が注目されたが、
一審では刑事責任能力ありと判断されたという事件だ。


今回の公判廷で気になった点をいくつか。
ほとんどが弁護側ないしは検察側からの質問を
受けての少年の答えについて。


まず少年は以前は被害妄想があったが今はないという。
しかし強迫観念にかられて房の前の人の行き来が
気になったり、自分が思ってもいないことを
突発的にしたり言ったりしないかが心配らしい。
自分の障害への自覚はあると見てよいのだろうか。


犯罪被害者のことが書かれた本や認知行動療法に
関する本、自分のことが書かれた新聞記事などを読む。
それが被害者への償いの気持ちからならいいのだが、
現状では単純に当時の学校のパニック状況を
知りたいなどということなので真に生かされて
いるのかがよく判断できない。
本の内容についても「生きて償うことは綺麗事」という
フレーズが印象に残ったが、むしろ自己否定が
強まって「自分は悪い人間」だという思いが
重みを増したのみだそうだ。
ちょっと弁護側ロジックからすれば残念な答えかもしれない。


また一審終了直後は控訴を取り下げようと思ったとも。
しかし翌日には「自分を完全に捨てることはできない」と
落ち着いたから考え直した。
少年が言うには刑期に関することのみを考えて
取り下げたというのだ。
つまり現実的な選択として限りなく低い可能性ながら
少年院送致になる可能性も残っているわけだが
それを狙って控訴審を争うわけではないという。
つまり「実刑12年=自分を捨てる」と読めばいいのかな。
だから実刑は覚悟で少しでも短い判決を勝ち取りたいと
理解すればいいのだろうか。
いまいち少年の内面にある論理が読みづらい。


そして最も興味深かったのが亡くなった鴨崎教師の
遺族への手紙の中で、家族のことを思って泣いたという
記述があると指摘された。
それは家族が世間から非難を受けて大変だろうと
想像すると泣けてきたということだそうだ。
そういう泣きたくなるような感情が被害者に対して
あるかという質問に、それはないとキッパリ。
無茶苦茶になったレベルが家族と被害者では
違うということに思いが及ぶかと問われると
「どちらが上とか言うべきではない。
ただ鴨崎さんについては亡くなったので別かもしれない」
というような趣旨の答えをした。


私はここに少年の持つ闇の部分というか
広汎性発達障害の難しさを見た気がした。
普通の人がこんなことを言っても世間で通らない。
しかし裁判でこういうことを堂々と言ってのけるところが
障害たるゆえんなのだろう。
素人目に見ても弁護側は少年に対して良いパスと
言うとおかしいが、少年有利になるように上手く
誘導しようという作戦は抜群だったのだが
ことごとく少年はパスをスルーしてしまう。
決定的なところでボロが出てしまう。
心底の謝罪の念はもてないとか言ってしまう。


つくづく広汎性発達障害は難しい障害だと感じた。
少年自身の中でも事件から2年経ってもまだまだ
整理ができていないという印象を持った。
しかし読書をしたり自分を変えようという意識は
持っているようだ。
それならすべきことは他にもあるのではないだろうか。
謝罪の念が湧かないのに手紙を書いてもそれは
受け取ってもらえないだろう。
まずは変わった自分を目に見える形で内外に
見せていかないと。


責任能力の判断は素人にはできないけれど、
これは間違いなくあると感じた。
自分のやったことの意味は彼なりに感じている。
現状でそれが弁護側、被害者などが期待するものとは
違っているのが残念でならない。
見た目も話し方も年相応の19歳だった。
控訴するしないは自由だからいずれは判決を
受け入れて実刑に服して更正してもらいたい。
家族を思って涙を流す心を持つのなら
それをもっと有意義な場面で発揮してほしい。


弁護側は改めて少年院送致の保護処分を、
検察側は「量刑不当」として更なる厳罰を求めた。
攻防はまだまだ激しく続きそうだ。




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